私が言語聴覚士になった理由

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皆さんこんにちは。

代表・言語聴覚士の柳です。普段は声とことばの症状や科学的なお話を書いているのですが、時々は自分自身のことも発信しようと思い、今回こうして筆を執ることにしました。興味がある方はゆるっと読んでみてください。

よくある質問

毎日いろいろな方と訓練をしていると、雑談の中でよく利用者さんから聞かれる質問の一つに、

「どうして先生は言語聴覚士になったのですか?」があります。

今日はこちらにお答えしていこうと思います。

外国語学習と私

言語聴覚士になるきっかけは実はいくつも重なっていて、一つに絞ることができないのですが、大きな理由の一つに、

「外国語をたくさん勉強したから」ということがあると思います。

ちょっとわかりにくいですよね。ちゃんと説明しますね。

私が言語聴覚士を志したのは大学生の時でした。私は東京外国語大学という大学を卒業しているのですが、東京外国語大学といえば、世界中の言語や文化・国際社会を学問する日本髄一の国公立大学で、卒業生は商社だとか、外資系企業だとか、旅行会社、メガバンクなど華やかなエリート街道に進む方も多いです。その中で、私はなぜか昔から「企業に就職する」ことには関心がなく、何か「これ!」という資格とか、組織というより個人の力をわかりやすく確認できるような、そんな進路を考えていました。本当は、通訳や翻訳に憧れていたのですが、あまりに同期が優秀だったので、この競争に勝てる自信がなく、他の道を探すことにしました。

言語聴覚士を知ったきっかけは、大学1年の時に受けた「音声学」という講義でした。当時、「音声学基礎」の講義を益子幸江教授(巨匠!)がされており、ヒトが言語音を産生する過程(舌が歯茎について離れると[t]の音が出る、のような)を科学的に学び、世界中の言語音(母音・子音)の微妙な違いを聞き分けたり、様々な音声記号を学んだりしました。益子教授は、その中で、「外語大の学生は、ことばを武器に生きていくのだけれど、あなたたちは声やことばを失うということも知っておいてほしい」と仰り、その時に声やことばに障害のある方々の治療者「言語聴覚士」という職業を紹介してくださったのです。

これが、私と言語聴覚士の出会いでした。

挫折から得た信念

その後、私はドイツ語を学びにドイツに渡ったのですが、未熟なドイツ語が通じないことで沢山の悔しい経験をしました。ことばが通じないことは不便であるだけでなく、人として軽視されたり交友関係がスムーズにいかなかったり…。話せない人に対して、皆が皆優しい人ばかりではないことに直面しました。ここから、「言語は人として生きていくためには、なくてはならないもの」という信念ができ、声やことばに困難のある方々を助けたいという思いに変わっていきました。そして、人と人とが1対1で向き合い、課題を乗り越えていく言語聴覚士にますます興味をもち、この道を志すことを決めました。

培われた能力

手前みそではありますが、幸い私は人の声や、発音を細かく聞き分ける能力に長けており、耳で聞けば、舌や口の中、喉がどのようになっているか、ある程度判定できるんです。たぶん、外国語を勉強した方だったら、同じような方は沢山いらっしゃると思いますし、鍛錬された言語聴覚士もそうだと思います。(よく、「耳が良いですね」と言われます。聴力は至って普通ですが…。)これは、日本語以外の言語も沢山練習し、自分自身が様々な「音」を産生しながら習得した中で得られた技能だと思います。まさかこれが、人様の役に立つなんて思ってもみませんでしたが、今では毎日の訓練にかなり生きていると自負しています。

個人的な話を最後まで読んでいただき、有難うございました!

またゆるっとした記事も書いていきますので、興味があったらのぞいてみてくださいね。

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